君に逢えてよかった


「君に逢えてよかった」
誰かに、そう言ってもらいたかった。そう、言いたかった。
何もない現実から、救い出してくれるような人に出会いたい。ただそれだけだったんだ。

1月中旬、大好きだった歌手・黒田トガシが結婚した。凄くショックだった。記者会見の席で彼が 「彼女に会えてよかった」と言ったのを聞いて、家を出た。そこまではハッキリ覚えているのに、 一体私はどこにいるんだろう・・・?
ふわふわと身体を風に揺らしながら、私は今日も空を見た。私は何年も前に交通事故で死んでしまった 浮遊霊らしい。あまり自覚はないのだけど。変わったことと言ったら、空を飛べることと、何でもするりと 通り抜けられること、記憶力が益々低下したことくらいだった。だから、幽霊になってからの出来事は、 あまり覚えていない。最近の記憶といえば、生きてた頃の記憶をたどって、自分の家に行ったこと。 もう家には、他の人が住んでいたけどね。

私が生きてた最後の日。私の大好きだったトガシが、結婚記者会見をした日。入籍は1週間前に済ませていて、 単なるお披露目だったんだけど、相手が隣にいないのが私には救いだった。
みんなはバカって言うかもしれないけど、私は本当に彼のことが好きだった。東京に旅行に行ったとき、 たまたまトガシを見かけたその日から、「理想」が「現実」に変わったの。定期入れには彼の写真、 部屋一面に彼のポスター。そんな生活から、私は放り出されてしまった。
(結婚なんて、して欲しくなかったのに)
ショックで家を飛び出した。私も「君に逢えてよかった」って言えるような相手を見つけてやるんだって、 お泊りセットをリュックに詰めて。半分意地になっていて、相手を見つけるまで絶対帰らないんだって、 心に誓った。
だからって、死ぬことなんてないのにね。死んだら、誰にも見つけてもらえなくなるのにね。私、 自分を轢いた相手だって、もう忘れちゃったよ。
あれから随分時間が流れた。私が死んでから、もう18年経つんだって。もうそんなに長い間、私は成仏 出来ていないんだって。私も生きていたら、35になっていた。トガシはもう44歳。おっさんじゃん。 でもまだ忘れられないんだよ。トガシの事も、あの時聞いたトガシのセリフも、かたい誓いも。昨日のことの ように覚えてるから、これだけは絶対に忘れられない。だから今日も彷徨うの。

私は知らず知らずのうちに、小さなライヴハウスの上まで来ていた。もう夜も更けているというのに、 ここは随分賑わっている。もしかしたら、結構有名なミュージシャンが、ここで歌っているのかもしれない。
こういうとき、幽霊って得をしている。だってタダで見れちゃうんだよ。私もこっそり会場に入ってみる。 身体に響くドラムの音。あたりに漂うお酒のニオイ。何だか新しい空気。私が生きていたときには知らなかった 空気だ。
そのときふっと、ステージのライトが消えて、あたりは真っ暗になった。
「今日は来てくれてどうもありがとう。来月、僕たちはメジャーデビューします。このライヴは、 インディーズの活動としては最後になるけど、僕たちはいつまでも変わらない」
聞き覚えのある声だった。いつまでも忘れることのない声。
(トガシ!!)
私は駆け出していた、ステージに向かって。こういう時、どうして人は走ることしか出来ないのだろう。 私は飛ぶことも出来るし、人を通り抜けることも出来るのに、人の間を縫って、ステージに向かって 走っていた。
ポッとともったスポットライト。ちょっとトガシに似た、男の子が見えた。トガシではない。トガシが、 こんなところにいるわけはないから。
「じゃぁ、デビューシングル。聴いてください。『君に逢えてよかった。』」
乗りの良いリズム。なんだか、歌までもトガシに似ている気がする。ステージの傍で、私はへたりと 座り込んだ。トガシに似た男の子。凄く、トガシに会いたくなった。

それから30分後、ライヴハウスからはライヴを楽しんだ人たちが次々に出て行った。あの曲が最後で、 その後にアンコールがあって、ライヴは終了したのだ。
私はずっと、熱気の残る寂しいライヴハウスにいた。もしかしたら、もう一度トガシに会えるかもしれない。 そう思うと、動くことが出来なかった。トガシに似た男の子の声が、まだ耳に残っている。もう、 泣き出したい気分だった。こんな気持ちになったのは、いつ以来だろう。
(トガシ・・・)
「あれ、君、まだいたんだ」
ステージの上から声がした。見上げると、彼がいた。トガシに似た少年。彼はステージから飛び降りて私の 傍に駆け寄ると、私の方へ手を伸ばした。
「黒田、トガシ・・・」
「・・・君、変わってるね。今時その名前を聞くとは思わなかった」
ちょっと苦笑いした彼は、私の手を引っ張って立たせてくれる。近くで見れば見るほど、彼はトガシに 似ていた。
「あなたは・・・?」
「あれ? 君、僕たちの歌聞きに来てくれたんじゃないの?」
「え? あ、ごめんなさい・・・」
彼は屈託なく笑った。
「いいよいいよ。僕たちの歌、聴いてくれたんでしょ? それだけで充分。僕はカシワギ。富樫カシワギ。 どうぞお見知りおきを」
カシワギと名乗った少年は、ぺこりと頭を下げた。黒田トガシに似た少年。彼も『トガシ』というのだ。
「君の名前は?」
カシワギはオーバーリアクションで、首を横に傾けながら私の顔を覗き込む。
「あ、えっと、詩織です。加藤詩織」
「加藤詩織? そう、詩織かぁ。いい名前だね。ところで君、どうしてこんなところにいるの?  別にバンドメンバーの誰かに未練残してるわけじゃないみたいだし、詩織、幽霊でしょ?」

一瞬の空白。

(そうだった!)
トガシの夢を垣間見て、事実をすっかり忘れていた。
「そう、幽霊」
「そうそう、君、幽霊」
カシワギは、人懐っこい笑顔を見せた。床によいしょと座る。私も手を引かれて、向かいに座った。
「僕、たまに見えちゃうんだ。君みたいな子。たいてい、見えるだけで何も出来ないんだけど。 君は何に未練があるの? 黒田トガシ?」
黒田トガシ。私が死ぬ前、一番好きだった人。一番、傍にいて欲しかった人。でも、私には手の届かない人。 何も言えない、私。
「黒田トガシは、死んだよ」
カシワギは、ぼんやりとライトのともる天井を見ながら、ゆっくりと答えた。
「黒田トガシが死んだのは、僕が5歳の時。海外でのライヴに向かう途中、飛行機が落ちたんだ」
「トガシ・・・死んだの・・・?」
頭がショートしそうだった。これは現実だ。夢ではない現実。トガシは死んでいた。私がこの世をうろついて いる間に、トガシは天国に上っていた。なんて神様は酷いんだろう。トガシはきっと、幸せになっていると 思っていたのに。
トガシのことを思っていると、なんだか涙が出て、止まらなくなった。命って、なんてちっぽけなんだろう。
「え、あ、ごめん、あのっ」
「トガシ、トガシィ。私トガシの事好きだったの。この世で一番好きだったのー」
「う、嘘だよ、今の。黒田トガシは生きてるって!」
泣き崩れる私。あわてるカシワギ。
「え〜?」
「ごめん、嘘だよ。僕が5歳のときに事故に巻き込まれて芸能界は引退したけど、ちゃんと生きてるよ。 だって僕の父さんだもん」

再び空白の時。

「お父さん? トガシの?」
「違う違う。トガシが僕の」
「トガシが僕の」
「そう、トガシが僕の。父さんはちゃんと生きてるよ。生きて、君にお礼を言いたがってる」
「・・・お礼?」
カシワギは、トガシの顔をして頷いた。
「そう。だって18年前、道路に飛び出した僕を救ってくれたのが、君、加藤詩織だからさ」

私はあの日、お泊りセットを詰め込んだリュックを背負って、勢いに任せて駅に向かっていた。 そこで、事故にあった。道路に飛び出した男の子を助けるために、私も道路に飛び込んだのだ。 あの時の男の子、彼はトガシの子供だったのか。

「思い出した?」
「・・・思い出した」
カシワギは、笑顔で言った。
「僕はトガシが18年前入籍した女性との間に出来ていた子供で、当時はまだ隠し子だったんだけど。 僕がこうして生きていられるのも、好きな歌を歌っていられるのも、詩織のおかげなんだ。こうして君と 話が出来るのも、きっと僕が君に助けられたから。 君に逢えてよかった。ずっと言いたかったんだ」

これが、加藤詩織の最後の記憶。
これから私は生まれ変わる。きっと「加藤詩織」という存在はなくなって、「加藤詩織」が持ってる記憶も 失っちゃうけど、もう私は泣いたりしない。だって私は幸せだから。
最後の最後に、私のトガシに会えたもの。

カシワギ、あなたに逢えて、よかった。



                            END