ゆきだるま持って


「ご、ごめんなさい」
ガタンと落ちた参考書。そこには、まだ高校生らしい女の子が立っていた。 その子は慌てて落とした参考書を拾う。僕はこのとき、大学を受け変えようか迷っている最中、 まだ12月になったばかりだというのに、街はクリスマス一色だった。
大学から少し離れた場所にある喫茶店。マスターの入れるコーヒーに惚れ込んで、 毎日のように通っていたが、彼女に出会ったのはこれが初めてだった。 これが、彼女――舞子との出会いだった。

「そんな気にしなくてもいいですよ。別に何ともなかったし。僕もいきなり席を立ったのがいけなかったんだし」
申し訳なさそうに何度も頭を下げる彼女に笑顔で言うと、僕は彼女が拾ってくれた参考書や辞書などを受け取った。
(この子も受験生なのか)
彼女の手にも、受験生の多くが利用している問題集が握られている。僕も一応、受験生だ。 今年大学に入学したばかりだが、今の大学ですべきことが見つからず、大学を受け直そうか 迷っているところなのである。とりあえず、何もしないわけにはいかないので、何となく勉強を始めた。 この喫茶店は落ち着いた雰囲気で、静か過ぎる図書館に5分といられない僕にとっては、恰好の勉強場所だった。
「あの、今年受験されるんですか?」
彼女は、相変わらずすまなそうな顔で尋ねた。そんな様子だから、最初は何を訊かれたのか分からず、 一瞬返事が遅れてしまう。
「え? あぁ、そう、受験。一応大学には通ってるんだけど、僕が求めているものはここにはない気がして」
「へー、なんだか凄いですね」
彼女は僕の言葉に一頻り感心すると、僕をお茶に誘った。彼女は甘いココアを飲みながら、 成績が落ちて落ち込んでいたから、話し相手が欲しかったのだと語った。外は雪で、真っ白になった日だった。


「宮本さん、こっちこっち」
あれから僕と舞子は、例の喫茶店で一緒に受験勉強を始めた。たまたま、お互いの利害が一致したのである。 僕は理数系が得意だが、国語はからっきしダメだった。舞子はその反対で、国語や英語に関する実力は 素晴らしかった。
「私ね、考えたんですけど」
相変わらず甘いココアを飲みながら、舞子は何かを企んでいるような顔で言った。
「今度のクリスマス、パーティしませんか?」
「パーティ?」
「そう、パーティ。たまには受験生にも息抜きは必要でしょ?」
舞子は僕が返事をする前に「決まり」と言って、さっさと段取りを決めてしまった。 当日は午後6時にここに来ること、プレゼントは用意しないこと、また次の日から勉強を始めること――
「楽しみですね!」
舞子は心からウキウキと笑った。
舞子は知らないのだ。それが僕にとって、どんな意味を持っているか。 クリスマスを2人で過ごすということが、どれだけ重要なことか。
この日、僕は勉強が全然手に付かず、何度も漢字を書き間違えた。


「宮本さん、どうしてそんなこと言うの?」
舞子なら、そう言うと思っていた。最初から、分かっていた。でも言わずにはいられなかった。 たぶん僕は、初めて会ったときから、舞子のことが好きだったのだ。
クリスマスを境に、僕たちは会わなくなった。あの喫茶店に行っても、舞子の姿を見ることはなかった。 ただ、「クリスマスプレゼントは用意しないこと」と言っていた舞子が、僕のために用意してくれていた プレゼントだけが、僕の元に残った。
(こんなお守りなんて――)
顔の近くで握り締めると、なんだかココアのにおいがした気がした。舞子のにおい。 飽きもせず、舞子が毎日飲んでいたココア。
舞子は、将来物書きになりたいと言った。だから、少しでも多くのことを学べるところに行きたいと。 ここは大好きだけど、幸せすぎるのだと。
それから僕は、ずっと考えていた。自分が、ここを去る理由を。一体何が気に入らなくて、 ここを去ろうとしているのか。一体自分が何を求めているのか。
舞子が好きだったココアを一気に飲み干すと、僕はお守りを握り締めたまま、舞子に電話をかけた。 ボタンを押す指が震える。
『もしもし』
「あ、宮本です」
1ヶ月ぶりに聞く舞子の声。いつもなら、こんなことを言わないのに。なんだか自然と、 苦笑いが込み上げてくる。僕からの電話だと、舞子にだって分かっているはずなのに。
『あ、こんにちは』
消え入りそうな舞子の声。ただ、電話を切らないでいてくれることだけが救いだった。
「突然ごめん。ちょっと話したいことがあって。俺、大学受け直すのやめることにした。 ずっと考えて、分かったんだ。俺は最初から、何もしようとしてなかったんだって。 大学のせいにして、自分から動こうとしてなかったんだって。だから俺、今の大学でやりたいこと 見つける。だから舞子も、受験頑張って。色々、ありがとう」
それだけ言うと、僕は一方的に電話を切った。寂しさと一緒に、とても清々しい気持ちになった。


「宮本さん!」
振り返ると、舞子がいた。マスターをはじめとする店内にいる人間全員が、入口の方を見た。 雪で白くなった舞子が、そこに立っていた。
「舞子? どうしてここに?」
驚いて立ち上がる僕のところに、舞子はズカズカと近付いてくる。冷たい空気と一緒に、 ふわっとココアのにおいがした。
「バカ! どうして自分の言いたいことだけ言って電話切っちゃうの? 私、まだ何も言ってない!」
今までに見たことのないほどの勢いで話す舞子に、僕はドギマギしてしまう。
「私だって、私だって、宮本さんのこと好きなんだから!」
舞子は僕が握り締めていたお守りを奪い取ると、口を縛っていた紐を解いた。中から紙が出てくる。 舞子はそれを僕に突きつけた。
「え、舞子、これ・・・・・・」
そこには、『ゆきだるまを持ってきてください』と書かれていた。
「受験が終わった頃、宮本さんがこれに気付いて私のところに来てくれたら、私から言うつもりだったの。 なのに宮本さん、先に言っちゃうんだもん。しかも、こんな大事な時期に」
「え・・・じゃぁ・・・」
「もう、調子狂っちゃうよ」
舞子は、半分泣いたように笑った。


あれから1年、2度目のクリスマスがやってきた。
舞子は志望校に受かり、この雪の多い地元を出て行った。僕はといえば、予定通り2年に進級し、 それなりに充実した生活を送っている。舞子がいないことを除いては。
会えなくて寂しい気持ちはあるが、別れてしまったわけではない。遠く離れてしまった僕たちだけど、 気持ちはいつも近くにいる。僕は毎日ココアを飲み、彼女もやっぱりココアを飲んだ。
『宮本さん、届いたよ。かわいいゆきだるま。そっちにもクリスマスプレゼント届いた?』
「や、実はよく分からないんだ」
『え?』
「舞子、窓の外」
好きって気持ちがどれだけ力を持ってるか、証明するために、僕は君に会いに行こう。ココアを飲んで、ゆきだるま持って。



                            END